個人的メモ

メモ・記録・日記

インターネットとの付き合い方を考えたい

 

関ジャニ∞村上信五が「ネット上の自分に対する意見は全く気にならない」と言っていた。いつでもインターネットに繋がってしまえる小さな四角を持っていながら、エゴサーチをしようと思ったことも、ネットの意見が気になったこともないらしい。彼曰く「インターネットで何を言われていても(見ないから)ワシには届かん」なんだとか。

 

彼のメンバーが「それはすごい事だよ」「強さだね」と言っていたけれど、本当にそう思う。私はもちろん芸能人じゃないし、顔や名前を出して働いていないから、個人的に批判や非難を受けることってないんだけど、自分が属するカテゴリー、例えば独身であることを馬鹿にするような書き込みを見たら結婚願望なんてないのに落ち込んだりすることもある。でも「京都人はいけず」って悪口はもはや擦られ過ぎてネタっぽくなっているから、嫌味で言われているんだろうけどあんまり嫌な気はしない。つまりどうでしょう、悪口や批判を言う時にはその代償としてコントネタみたいにユーモラスを足さねばいけなくするのは。

 

インターネットは愚痴や不満、批判で溢れている。面と向かって言えないことを吐き出す場でもあるから当然だという見方もできるけれど、呟くネタを見付けるためにわざわざ不平不満を探している人も多いように思う。

 

双子のベビーカーをバスに乗せるのを手伝ってもらえずお気持ちを表明していた女性は、まるで双子ママの代表のようになってしまって、しばらくは色んなことに噛み付いていた。今はどうされているか知らないけれど、彼女当時は文句ばっかり言っていた。

 

100点満点の世の中になればすごく良い事だけど、それは無理でしょう。そもそも誰かにとっての100点は誰かにとっての赤点かもしれないし。

今の環境が70点だとして、バッテンされた30点を見て不安だ、不満だって過ごすよりは、70点の方に注目して楽しく過ごす方がよっぽど良いなと世の中に物申す系の人たちを見ていると改めて思ったり。インターネット上の「足りない」「不満だ」って意見が世の中を良くすることも確かにあるけれども、私のベストはそんな不満は無視して今の生活の足りていることに注視して楽しみつつ、世の中が改善されたのならそれのおこぼれも頂戴する、かな。ズルイけれども。

 

何が言いたいかっていうと、自分から不平不満をわざわざ見付けにいって心をモヤモヤさせるのをやめたいよねって話です。

『お金があって不幸せか、お金が無くて幸せか』って質問があるんだけど、こんなの圧倒的に後者じゃないですか?幸せでありたくてあれやこれやと苦労しているんだから。これと同じで『90点の環境で残りの10点分を不満に思う生き方か、70点の環境で充分に足りている部分に満足して生きるのか』の2択が出されたとしたら、私はやっぱり後者でありたいと思う。

 

京都人はいけずって言う人に「京都人だって色々いてね」と反論するよりは、最初からはんなりしてて好きって言ってくれる人と仲良くしたいし、それで良いじゃないかと。