個人的メモ

メモ・記録・日記

たどり着かないブラウン

 

コロナウイルスが流行して3年が経つ。最近「マスクは自己判断で」という形になった。ついこの間までマスクは義務だった。

マスクで顔の半分が隠れているから、という理由だけでなく、外出の頻度が減っただとか、そもそもお店に行くことが良しとされていなかった、なんてことも原因ではあるのだろうけれど、コスメの売れ行きは相当厳しかったらしい。

 

かく言う私も全然コスメを買わなかった。暇を持て余してコスメの整理をしたら、口紅がボロボロと8本ほど出てきたのだ。口紅の使用期限は1年らしく、その当時で既に期限を過ぎている物もあって、これらを消費しないと次にはいけん、という気持ちになった。どうせ見えないからと口紅を使わない人もいたけれど、私はむしろ、今使っている物をリセットして手持ちの口紅を4本にするんだ、ということを目標にマスクの下でせっせと塗り続けてきた。

 

来たる日を想像して買いたい口紅をピックアップしたりしてその日を待つ。ピンクってタイプじゃないし、おちょぼ口に赤は強すぎるし、ベージュを色っぽくみせる色気はまだ備わっていない。私に必要なのはブラウンだ、脱プチプラもしたい、そんな自己分析と願望の結果、候補に挙がった『ローラメルシエ05』をずっと楽しみにしていた。

 

この3年の間に、使用期限を大幅にオーバーしていることは見なかったことにして、使い切ったり、似合わないなと捨てたりして、手持ちがついに3本になってその時がやってきた。

ここまで減らせたら1本買ったって良いはずだ。3年近く恋焦がれたローラメルシエ05がやっと私の元にやってくる。そのはずだったのだけど、先日手元にやってきた口紅は『ラポドュジェム:ブラウンヒーロー』という名前だったりする。

 

実を言うと、あんなに焦がれていたのに別のリップを買ってしまったのだ。

ヤフーショッピングがこの前、1年以上買い物していない人は半額にしてあげるよというクーポンを配っていて、T-ポイントが撤退してからご無沙汰な私は対象だったのである。元々はラポドュジェムのアイシャドウが欲しかったんだけど、何個買ったって送料が一緒なんだと思ったらリップを買うことを我慢できなかったのだ。

 

欲しい物を素直に買うという行為は単純なようで意外と難しいと思う。金額だったり、セールやキャンペーン、送料に心を揺さぶられて、違う物を買ってしまう。失敗した買い物になってしまったことも当然ある。幸い今回買ったリップには何の不満もないけれども。

 

リップを1本使い切ることは随分と時間がかかることだとこの3年間で身に染みて感じているので、ローラメルシエ05はしばしお預けである。3年も焦がれたブラウンに辿り着けなかった。

 

ラポドゥジェム バランスリップbl-04/デイリープラザ(DAILY PLAZA)

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中途半端にお小遣い帳

 

家計簿アプリをインストールした。最近は銀行やクレカと連携できたり、レシートをパシャっとすると自動でデータ化してくれるハイテクなものも多いが、私には余る機能なので、ちまちまと自分で打ち込むアナログで最低限な機能のものを選んだ。被服費とギャンブルの収支をきちんと付けてみようと思ったのである。特に年間でどれだけ服にお金を使っているかは興味がある。ギャンブルの収支は見たくはないが、そろそろ見て見ぬフリをやめて現実を知っておくべきだと思った。

そんなワケで学生時代振りにお小遣い帳モドキを付けてみることにした。

 

自分の買い物を思い出しながら年間被服費は『3万円』くらいだったら嬉しいなと思っていたのだけど、女性が集う某掲示板では月2~3万円で、年間50万円に近いよって人が多かった。

年間3万円。私ってオシャレに対する意欲が低すぎ…!?と恐ろしくなるけれども、いやいや元々服にお金を掛けたいタイプじゃないし、と思い直す。

 

年間5万円が目標だと言う人に「月4000円って厳しくない?プチプラだけ?」と返事が付いていたりして、私の中では服は毎月買う物ではないので「そんな少ないだろうか」とピンと来なかった。被服費って人によって想像以上に幅がある。

 

バッグや靴、コートなんかは大きな出費になり得るけれども、毎年バンバン買うものでもないし、今のところは手持ちで足りている。

必要な物はもうほとんど持っていて、服を買うタイミングになるのは、傷んだ服の買い替えや、たまに着てみたいファッションに挑戦するくらいなのだから、とりあえずのところ今年の予算兼目標は、やっぱり3万円で大丈夫そうな気がする。

 

こういった記録はキリの良い時から始めるのが通説ではあるが、年始はとうに過ぎてしまったし、4月からのスタートを企んでウッカリ忘れてしまったら、いつまで経ってもスタートが切れない。なにより私の頭の出来じゃ、忘れてしまう可能性が大いにある。だから「今すぐ始めるのが正解」と年始でも4月でも、何なら3月1日でもない、中途半端な日にアプリをインストールして、いつでもお小遣い帳として使えるように準備を整えた。そして1週間が経とうとしている。

 

が、今のところまだ記入すべき事案は起きていないので、肩透かしを食らった気分になっている。3万円という一般的ではない予算を達成するためには、記入する日がいつまでもやって来ないことは、喜ばしいはずなのだけど。

ブックオフよ今月も有難う

 

片桐はいりのエッセイ【グアテマラの弟】を1~2テーマずつ読むことが最近の寝る前の楽しみである。小説も好きだけれども、小説とは違いそれまで書かれている内容を忘れてしまっても何にも困らないところが良い。気分が乗らなければ手に取らず、読みたい時に読めば続きからでも何の問題もなく楽しむことが出来る。エッセイの良さはそんな気張らずに読めるところにある。

 

実は【グアテマラの弟】を読むのは初めてではない。数年前に読んでいて、そして手放している。しかしどういうわけか、あの文章をもう1度読みたくて堪らなくなった。そんな欲求を解消しよう電子書籍の試し読みのページを読みに行ったりしたけれど、むしろ想いは募るばかり。

 

そんな中、暇つぶしに読む小説の補充に寄ったブックオフで何と【グアテマラの弟】が売られているのを発見した。値段は330円。実に絶妙な金額設定である。

その日の予定は110円の小説2冊を100円オフクーポンを使って買うことだった。ちなみにクーポンは小説1冊、110円でも使える。だけど10円だけのお支払いが恥ずかしいという私の意味わからない見栄だ。

 

グアテマラの弟】を買うかどうか、すごく悩んだ。本体価格「456円+税」に付けられた330円という金額と330円あれば100円コーナーで3冊も買えてしまう事実。

買うか買わないか、グルグルとした葛藤に決着がついたのはホリエモン石田ゆり子の「お金は引換券でしかない」という言葉を思い出したからだ。欲しい物を買わないでどうする。欲しい物を買うためにお金はあるんだ。その考えが心にストンときて、【グアテマラの弟】と小説1冊をレジに持って行ったのである。もちろん100円引きクーポンも提示して。

 

グアテマラの弟】の他にもう1冊読みたい本があった。【もぎりよ今夜も有難う】というエッセイだ。こちらも片桐はいりが書いている。片桐はいり節が効いていて面白いらしいという感想を、【グアテマラの弟】を試し読みした時に関連書籍で出てきて知った。そんな本があの日、ブックオフの棚に【グアテマラの弟】と並んで実は存在していた。こちらも330円の値段のシールが付いていた。

 

しかしどんなに石田ゆり子に囁かれようが、ホリエモンに罵られようが、330円の本を2冊買う気にはなれなかった。だって本当だったらその日の出費は、110円の小説2冊にクーポンを使って、120円のはずだったのだ。

それで29日、ブックオフが「ブックの日」とキャンペーンを打ち出す日にいつも『500円以上で300円オフのクーポン』が配布されるから、【もぎりよ今夜も有難う】はその日に賭けることにした。

 

先月(2月)は29日がないので、決戦は28日となった。

来たる28日。前回置いてあった場所に、本がない。チクショウ、売れたか。念のため作家名順の棚だけでなく出版社で分けられている棚も見に行く。無い。

「あぁ仕方がない。諦めて、小説を500円分買って帰ろう」と100円コーナーに立ち寄った時、【もぎりよ今夜も有難う】はそこにあった。330円のシールの上に110円のそれが貼られ、場所を移動していたのだ。

 

賭けは私大勝利である。

しかしそれだけでは終わらない。【もぎりよ今夜も有難う】の隣にはあの日には無かった、これまた片桐はいりのエッセイ【わたしのマトカ】が、まるで【グアテマラの弟】の代わりを務めるように隣に存在していた。

 

片桐はいりはエッセイを3冊出している。そのうちの2冊を読んで、それで満足できるかと言われると、そんなことはない。きっと残りの1冊も読んでみたくなるだろう。

110円のその2冊を手に取ることに、迷いなど一切浮かばなかった。

 

ブックの日のキャンペーンには常日頃本当に感謝しているが、今回の買い物はよりその気持ちが大きい。ブックオフよ今月も有難う。

 

もぎりよ今夜も有難う (幻冬舎文庫) [ 片桐 はいり ]

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冬物の洗濯と発展途上国ドキュメンタリー

 

昔、冬物で“毛”が使われている衣類を洗うとなると手洗いをしていた。ちょっと背伸びをした価格帯の物を買うようになると、プチプラの時には思わなかったずっと綺麗な状態で使えるように大事に扱おうという気持ちがわいてきて、それで調べたら「手洗い推奨です」「手洗いしましょう」という記事で溢れていたのだ。

 

手にはゴム手袋、洗面所のシンクにぬるま湯を入れて、オシャレ着洗剤でじゃぶじゃぶ洗うんだけど、洗剤を流し切るのがもう大変。時間もかかるし、手間だし、何より気力が要る。面倒だから今日はやめようと後回しにした日は1度や2度じゃない。

 

私は家事が好きじゃないから、良い服を着て得られる気分の良さが洗濯の憂鬱さで人一倍ゴリゴリと減らされていった。何やかんや気持ちの差し引きはプラスで終われていたけれど、洗濯の憂鬱さは回数を重ねても変わらないのに、良い服を着るハッピー度は服の使用回数に反比例して減っていく。ある日「えーい、もうええわ!」と洗濯機を活用したら普通に合格ラインの出来栄えでポカンとしてしまった。現代の洗剤と洗濯機の有能さを侮っていた。

これまでの大変さに対する後悔よりも、もうこれからあの大変さを味合わなくて良いんだと感動した。その日から所要時間は30分から綺麗にネットに入れるための3分になった。

 

3月が見えてきた今日、ニットやマフラーをいくつか洗濯した。ニットは気まぐれな春の寒い日にまだ着るかもしれないけれど、『THE・冬!』なマフラーはもう来冬まで片付けてしまおうと思ったのだ。洋服ブラシでゴミを落とし毛の流れ整えて丁寧に畳んでネットに入れる。

 

洗濯機が働いている1時間と少し。その間にご飯を食べて、掃除機をかけて、アンケートに答えてポイントを稼いで過ごす。

もう何回も洗濯機を使って冬物の洗濯を楽にしてきたというのに、改めて『洗濯機ってすごく便利なアイテムだ』とこんなにもしみじみ感じたのは、発展途上国のドキュメンタリーを昨日観たからかもしれない。

 

私は割と何でもかんでも自分事と照らし合わせて考えてしまう癖があるようだ。それで気分が沈んでしまうこともあれば、“足るを知る“気持ちになることもある。今回は後者だった。あぁ、なんて便利なんだろう、そんな気持ちで溢れる。「家事が好きじゃないからなるべくやりたくない」なんて言っていられるのもここが日本だからだ。

 

セカストにて1,305円。

 

セカンドストリートに服やらバッグやらを売りに行ってきた。ついこの間売りに持って行ったばかりなんだけれど、今季着た服が「もう要らないかな」と手放す意欲がわいてきたのだ。この時期に冬物なんて売りに行ったら買い叩かれるのも十分なほど知っているけれども、売るのにベストな時期に持って行ったからって高く買い取ってもらえるとも限らないし、半年待ったあげくに大した買取金額じゃなかったらそれはそれでモヤっとするなあと思って、もう買い叩かれても良いやとお店に持ち込むことにした。

 

店内をウロウロしていると赤ちゃんを抱いた夫婦がベビー用品を見ていて『堅実』という二文字が頭に浮かぶ。私は断捨離をして物を手放すまで、いや手放してもしばらくは中古品を買うという意識が無かった。中古品が嫌だとかじゃなくて、中古品の存在そのものが自分の中に全く無かったのだ。だけど中古品も買うようになった今、お古で十分だっただろう物が沢山ある。

 

15分程経って提示された買取金額は1,305円。DAKOTAのバッグに1000円の値段が付いたので久々の4桁となる。買取金額が10円20円でも「要らない物に値段付けてもらっちゃってすいません」なんて気持ちで全然落ち込んだりはしないんだけど、いざ1000円を超えたら、畳んで袋に入れて持って行って店内で待って…っていうその過程が何だか報われた気持ちになった。

 

ネット記事で読んだのだけど、フリマアプリが充実している時代とオシャレ期が重なる最近の若い子はリセールバリューを意識して服を買うらしい。自分が楽しんだ後、売る時にそこそこの値段で買い手が見付かるブランドの物を買うそうだ。

 

めちゃくちゃ賢いと思う、が私には出来ない。売る側としてフリマアプリに参入することのハードルが私には高すぎる。お金のやり取りがあるんだって思うと、サイズを測って、汚れや傷みなどの状態を明記することに精神がゴリゴリと削られていくのが、実際にやらずともやっている自分を想像しただけで分かる。

 

そんなわけで私にとっての理想は「これを売りに持って行ったら失礼でしょう」ってくらいたくさん使うことだ。それが出来なかったから立て続けに売りに持って行くようなことになってしまったのだけど、これで手持ちの服がやっと落ち着いた気がする。

 

かつて値札の付いた服で部屋の隅に山を作ってしまった私は知っている。服は“どう”着るか、ではなく“何を”着るか、だと。1度着ない服にジャッジされた服は、どれだけ待てども使用頻度が上がっていかない。不思議なもので「今日が着るチャンスなのでは?」という日でさえグルグルと考えた結果、最終的には着なかったりする。

勝負は服を購入するところから始まり、その時点で7割は決着がついているのだ。

ボタン付けに思い出す3年前の日

 

もうすぐ取れてしまいそうだとヒヤヒヤしていたスカートのウエストボタンが、ついに洗濯機の威力に負けてスカート本体と分離させられてしまった。あぁ、面倒くさい。

そのスカートはフック型の留め具がメインで、ボタンはまるで「フックが外れた時でも大丈夫よ」と言いたげに存在しているから、わざわざボタンを付けなくても良いんじゃないかという気がしてきて、それが面倒くささを倍増させるのだ。

 

アイロン必須だと徐々に着なくなるので、シャツを選ぶ1番の基準が『アイロンが必要ないこと』である私にとって、ボタン付けなんてどれほど避けたいことか。だけど、そんなことを言ってもボタンが取れただけで服を捨てるような富豪の生活など出来ないので、YouTubeでお手本動画を観ながら、1度付ける場所をミスるという失敗をしながら何とかチクチクとボタンを縫い付けた。

 

今さらアイロンが好きになったり、裁縫上手になりたいだなんて思わないけれど、必要な時にパパッと行えるくらいの距離感ではありたいと思う。生活に関わることをストレスが少なく遂行出来るということは、生きる上で余計なストレスが少ないとも考えられると思うからだ。

 

★★★

生活能力のことを考えると思い出す人がいる。知り合いでもなんでもなく、ネット上で書き込みをしていた女性(推定)なんだけれど。彼女が言うには、料理は全くしないし、そもそも道具も持っていない。作る時間も無駄。洗い物も出るから嫌。稼いでいるから金銭的にはノープロブレム!全て外食で済ませている、らしかった。

その書き込みがされてすぐにコロナウイルスの流行がやってきて、あっという間に飲食店は休業・時短営業を強いられていったので、猛烈に記憶に残っていると共に「大丈夫だろうか」と心配になった。その一方で、お家ごはんを楽しむ人も居て、美味しい物を自分で作れる人はこんな期間でもさぞ自分を幸せに出来るのだろうとも思ったものだった。

 

コロナウイルスの流行からもう丸3年が経とうとしている。3年とは『濃厚接触』という言葉が卑猥に聞こえなくなり、白じゃないマスクに抵抗が全く無くなるほどの期間で、コロナに対する恐怖心が失われていくのと同じスピードで流行当初に思っていた『生活力って大事だよなあ』なんて考えもすっかり忘れて去られていた。

 

ボタン付けで『家事が好きって生きていく上でとんでもない財産だ』ということを久々に思い出した。家事能力を母親のお腹に置いてきたので…って言ってしまうのは簡単だけど、平均寿命を考えると遺された人生はまだまだ長い。ちょっとでも家事が楽しめるように下手くそなりに工夫して生きていく方が『急がば回れ』のように、結局後々自分を楽にしてくれる気がする。

 

普段はちょっと距離を置きたいくらい時間を奪われて困っているものだけど、ネットには私のような生活が下手くそな人間でも何とかやっていける情報もたくさん溢れている。良い時代である。

300円のクオカード



随分と前からセブンイレブンの細切りポテト(バターしょうゆ味)にハマっている。すごく美味しい。だけどコンビニ価格でお得じゃなかったり、癖になってしょっちゅう食べたくなったり、カロリーが心配だったりで、自制をしていたりする。

そんな自制を今日は解禁。何て言ったって今の私はクオカード(300円分)を持っているんだから。

 

このクオカードは年始に貰った物で、ずっと財布の中でT-カードの裏に隠していた。いざという時に使えるように持っておこうという企みもあったし、金券ショップで商品券や優待券を売った経験もあるから、売りに行く物が集まったらお金に換えてしまうのも良いな、なんて考えていたのである。

 

だけどたかが300円。これが1万円だったら即刻換金に走りなさいよって感じだけど、300円くらいもっと軽い気持ちで使っても良いんじゃないかとふと思った。もちろんこういう「塵も積もれば…」が蓄財の基本ということは、ポイ活や小銭貯金で身に染みてはいるのだけど。

 

それでここ最近ずっと我慢していたセブンの例のスナック菓子を買いに行ってみた。

108円で売られていた細切りポテトが138円になっているという現実に値上げをガツンと感じつつも、クオカードのおかげでニッコリお支払い。値段のアップに合わせて、パッケージもチャック付きのものにバージョンアップしてあったんだけど、それに関しては、私は開けたら一気に食べちゃうしその分2円でも3円でも安くしてくれた方が…と思わなくはなかったり。

 

とにもかくにも、懐を痛めず美味しい物が食べられてハッピーな気分になった。そしてクオカードの残高でもう1袋と30円ほどの何かが楽しめるというワクワクが未だ残っている。

現金に換金して所持金が300円増えることにもニコニコできるタイプの人間ではあるけれども、多分それよりも自分を楽しませられる使い方になったと思う。

 

300円ごときでグダグダと…と自分でも思わなくもないが、「悪くない使い方だったんじゃないかな」という自画自賛は満足感を増やしてくれるので、何度でもやっていきたい。