個人的メモ

メモ・記録・日記

断捨離を経て

 

数年前にやってきた断捨離ブームにゆらゆらと乗っかる前は、部屋の隅っこに値札が付いたままの服で山ができていた。

家に帰ると部屋の隅っこにもタンスの中にもクローゼットの中にも服があるのに、お店で服を眺めているとそんなことなんてこれっぽっちも思い出さないで、1つまた1つと服が増えていったのである。

 

断捨離を始めたきっかけは、ゴキブリが出たとか床が抜けたとか、そんな大きなハプニングがあったわけではなくて、「断捨離をしたら良い事が起きたよ」っていう書き込みを見たからで、「じゃあやってみるか」くらいのテンションで始めたものだった。

 

毛玉のついた靴下や首元のヨレたT-シャツなんかの明らかにゴミにしかならない物から始めて、割と早い段階で値札の付いた服(だけども気に入っていない)も手放せるようになった。どれもこれも捨てられないと嘆く人がいると多く見聞きするので、どうやら私には捨ての適正があったらしい。近所にリサイクショップがあったこともラッキーだった。大きな金額にはならなくて自販機のジュース2本分にしかならなかったこともあるけれど、手元にやってくるお金が0円と数百円の違いでこんなにも断捨離のハードルが下がるものかとビックリする。

 

部屋がスッキリして、要らない物がちょっとだけお金になって、かつての様に服を買い漁ることがなくなって、win-winどころかwin-win-winといった感じで良い事ばかりだったのだけど、唯一『少量の良い物を長く使っていきましょう』という考え方は上手く実行できなかった。

 

その言葉は何にも非の打ちどころがない100点満点の考え方なのだけど、長く着れるようにと買ったシンプルなカシミアのニットは2年目の冬には「もう少しゆったりした物を買えば良かった」と不満が出て譲ってしまったし、トレンチコートも丈が気に入らなくなったりして、未来を想像して物を買ったのに失敗ばかりだった。

 

それこそ服の山にしてしまった物たちだって「季節が来たら着よう」と少し先の未来を想像して購入したものだ。でもその短期間で「着たい」という気持ちが萎んでしまったのだ。

 

それに気が付いた時、自分には未来を想定して物を選ぶセンスがないのだと諦めた。そして勇気を出して買って1週間以内には着るぞって服しか手を出さないような買い物の仕方に変えたら、そりゃ「今から着ますよ」って服を買っているから当たり前なんだけど、服がないと思うことがどんどん減っていったのだ。

 

セールで安くなっている季節外れの服を買って失敗した経験や、将来のために高い服を買って失敗した経験を振り返ると、”今”着たい服を買って、着て、その中から自分らしく長く愛用できるデザインに出会えたら、質をステップアップしていけたら良いんじゃないかなと断捨離を経た今は考えるようになった。

 

一生モノと言えば『質の良い物』というのが一般的に言われていることだけれど、どっかの誰かが「実は高い物よりもお気に入りの物の方が、飽きが来ず一生モノになりやすいんですよ」と言っていた。こっちの考えの方が私にはどうにも合っているみたいだ。