個人的メモ

メモ・記録・日記

ボタン付けに思い出す3年前の日

 

もうすぐ取れてしまいそうだとヒヤヒヤしていたスカートのウエストボタンが、ついに洗濯機の威力に負けてスカート本体と分離させられてしまった。あぁ、面倒くさい。

そのスカートはフック型の留め具がメインで、ボタンはまるで「フックが外れた時でも大丈夫よ」と言いたげに存在しているから、わざわざボタンを付けなくても良いんじゃないかという気がしてきて、それが面倒くささを倍増させるのだ。

 

アイロン必須だと徐々に着なくなるので、シャツを選ぶ1番の基準が『アイロンが必要ないこと』である私にとって、ボタン付けなんてどれほど避けたいことか。だけど、そんなことを言ってもボタンが取れただけで服を捨てるような富豪の生活など出来ないので、YouTubeでお手本動画を観ながら、1度付ける場所をミスるという失敗をしながら何とかチクチクとボタンを縫い付けた。

 

今さらアイロンが好きになったり、裁縫上手になりたいだなんて思わないけれど、必要な時にパパッと行えるくらいの距離感ではありたいと思う。生活に関わることをストレスが少なく遂行出来るということは、生きる上で余計なストレスが少ないとも考えられると思うからだ。

 

★★★

生活能力のことを考えると思い出す人がいる。知り合いでもなんでもなく、ネット上で書き込みをしていた女性(推定)なんだけれど。彼女が言うには、料理は全くしないし、そもそも道具も持っていない。作る時間も無駄。洗い物も出るから嫌。稼いでいるから金銭的にはノープロブレム!全て外食で済ませている、らしかった。

その書き込みがされてすぐにコロナウイルスの流行がやってきて、あっという間に飲食店は休業・時短営業を強いられていったので、猛烈に記憶に残っていると共に「大丈夫だろうか」と心配になった。その一方で、お家ごはんを楽しむ人も居て、美味しい物を自分で作れる人はこんな期間でもさぞ自分を幸せに出来るのだろうとも思ったものだった。

 

コロナウイルスの流行からもう丸3年が経とうとしている。3年とは『濃厚接触』という言葉が卑猥に聞こえなくなり、白じゃないマスクに抵抗が全く無くなるほどの期間で、コロナに対する恐怖心が失われていくのと同じスピードで流行当初に思っていた『生活力って大事だよなあ』なんて考えもすっかり忘れて去られていた。

 

ボタン付けで『家事が好きって生きていく上でとんでもない財産だ』ということを久々に思い出した。家事能力を母親のお腹に置いてきたので…って言ってしまうのは簡単だけど、平均寿命を考えると遺された人生はまだまだ長い。ちょっとでも家事が楽しめるように下手くそなりに工夫して生きていく方が『急がば回れ』のように、結局後々自分を楽にしてくれる気がする。

 

普段はちょっと距離を置きたいくらい時間を奪われて困っているものだけど、ネットには私のような生活が下手くそな人間でも何とかやっていける情報もたくさん溢れている。良い時代である。