『バカだね日本人って。その服とテレビを買わなかったら、もっと早く帰って美味しいご飯が食べられるのに。』という思わずピクッと反応してしまうタイトルが付いた記事を見付けた。
という内容である。
現代は物で溢れている。
それは昔と比べて私たちが物を多く所有することになった、だけでなく、世の中も物で溢れているんじゃないかと私は思う。
服も食べ物も急いで買わなくても、いつだって手に入る。ネットショッピングだって充実している。いつだって手に入るんだから、わざわざストックしてまで買わなくても良いはずなのに…と考えると家の中が物で溢れてしまうことが本当に摩訶不思議である。
現代人に足りないものは”ゆとり”ではないかと思う。金銭的なゆとり。時間的なゆとり。お金が無い、時間が無いという声は聞くけれど、物が足りないという声はあんまり聞いた覚えがない。
だけどこのゆとりは、適量を知って、その範囲で過ごせていれば、意外と手に入っていたものなんじゃないかと思ったりする。記事の内容のように、適量以上を求めるばっかりに、物が増え、お金が減り、時間が減っている。
やるべき事は”適量を持つ”。
たったこれだけなのだけど、世の中には賢い人が「どうすれば物が欲しくなるか」と考えて作られた広告で溢れているから、「ハイハイ、適量しか持ちませんよ」と実行するのは頭で考えているよりも難しいのだろうね。
”ゆとり”を手に入れるために、広告に踊らされない自制心を手に入れねば。
戒めと共に。
私の持ち物の中で、数も体積も一番多いのはファッション関連である。別に「オシャレが大好き」ってワケでもないのに。
昨晩、手持ちのアイテムを引っ張り出して、晩春~早秋、つまり薄着になる季節のコーディネートを書き出していた。
すると、1ヵ月に1~2回しかこの組み合わせで着られないんじゃないかってくらいゴロゴロ組み合わせが出てきて、その量に驚く。途中で嫌になった。
週に1回、つまり月に4回、同じコーディネートで過ごしたとして「あの人ってファッションに無頓着なのね」って烙印を押されるかというと、私は全然そんなことはないと思うのに。
つまり、私にとっての適量と比べるとToo much (トゥーマッチ)である。反省。
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